記事一覧

生活保護の思い出

生活保護って社会保障の中では年金と並んで過激な話題になることが多い分野です。

今まで自分はこういうデリケートな話にはブログであまり触れないようにしてきました。

不特定多数の人が自由に見ることができるブログで、このような話題を書くと、好戦的な人を呼び込んでしまう可能性があるからです。

私はブログでのほほんと過疎日記を書いて自己満足したいだけなのです。




私は昔、公務員をやっていた頃、生活保護を担当していたことがあります。大学卒業直後、入庁した最初の配属先だったので、もう10年以上昔です。

最近気まぐれに生活保護のことを書いてみようかなと思い立ったのは、生活保護の仕事をしていた公務員時代の思い出話を整理し、記録したいと考えたからです。

うまくまとまらなかったら、途中で止めて消すかもしれません。

制度的にはその頃から多少変わっていて私が知らないこともあると思いますが、とりわけ福祉分野のお役所仕事は一度始めるとどんなに不適当・非効率なことでも弱者切り捨ての批判を浴びるため非常に変えづらいので、根本的なところは10年前とそんなに変わってないと思います。






生活保護は社会保障制度の一つです。社会保障制度には社会保険、社会福祉、公衆衛生、公的扶助があり、公的扶助=生活保護です。

この中で生活保護を受給することだけ、とりわけよく批判されることがあるのはなぜでしょうか。



ある一定の年齢になったら受給できる国民年金保険や失業したら受給できる雇用保険などは社会保険であり、掛け金をかけている人がもらえる互助的な仕組みが基本です。掛け金を払ったからにはもらうことができるのは当然ということなのでしょう。(でも国民年金もかなり税金負担はあるし、支払免除もあるのであくまで原理的な考え方という意味でですが)

社会福祉は高齢者や障害者など特定の社会的弱者を支援する制度で、やむを得ない事情で生活に困った人を支援する仕組みは必要だと理解されやすいということなのでしょう。

公衆衛生は主に感染症対策や検診などですが、こちらも個々人での対策はなかなか困難で、被害拡大を最小限にするために行政の支援制度が必要というのはわかりやすいです。



生活保護受給があまりいいことだと思われない理由のよく言われることに自己責任があります。

きちんと年金保険料を払っていなかったから老いて生活費に困っても自己責任。障害など「手帳〇級という目に見える」働けない理由がないのに働かず、生活費に困っても自己責任。

実際障害者の福祉制度だけでは生活費が足りず、不足分は生活保護を受けている(差額分だけ支給されます)人は多いですが、そういう場合の生活保護は世間的にも批判されにくいです。



生活保護の受給批判の別の理由として日本の家族や地域での助け合いという伝統的な概念が背景にあるのではないかと思います。

生活が困っているなら家族や友人知り合いに助けてもらうべきで、「税金=無関係な人の金」で助けてもらうべきではないという昔ながらの考えがあるのではと。



民法には一定の範囲の親族の扶養義務が規定され、生活保護を申請するとその親族に扶養してもらえないかと文書がお役所から届くことになります。これは自分的にはけっこう強烈で、もし自分の場合、親族にそのような文書が届くなら無理にでも働くか、もう自死を選ぶかもしれません。そういう考えの人は一定数いると思います。


生活保護を申請することは自己責任という社会や地域からの批判を意に介さない人、親族への羞恥心がない人や耐えうる人でないとできないのです。


続きます

コメント

コメントの投稿

非公開コメント