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生活保護の思い出 5

生活保護の仕事は大変でした。もちろんもう二度としたくありません。ただ生活保護家庭への訪問は基本一人で行います。危険な目にあいやすいのですが、業務の裁量はそれなりに大きいということになります。

法令を解釈し、執行するのは苦手ではなかったですし、そんなに残業はしませんでした。自分は行政職だったのもあります。福祉職だと、福祉への情熱が強く、仕事の範疇を度外視して何とか困っている人を支援してあげたいと業務時間が長くなる人もいました。私は手を抜けるとこは抜いてました。

生活保護を適用する場合、他の制度が利用できる場合はそちらを優先する必要があります。ですので、他の制度も勉強しなければなりません。福祉制度だけでなく、住民の生活に直結するさまざま制度の知識と実態を知ることができました。

また自分とは全く違う人生を歩んできた人々の生活の様子を生で見ることができ、ある意味いい社会勉強になりました。普通は他人の家庭の状況なんか詳しく知る機会ないですよね、せいぜい親戚や友人の家庭でしょう。それらの家庭は違うと言ってもほとんどは自分と同じクラスタの中での違いでしかない場合が多いと思います。

いろいろな人の生活の様子を見て、適当に生きても何とかなるんだな、真面目に悩んで生きてもたいして意味ないんじゃって思いました。


また仕事内容はつらくても、同じ係の先輩方に非常に恵まれました。プライベートでもよく遊んでもらいました。上司もいい人でした。それが生活保護の仕事に耐えることができた一番の理由だと思います。



この後、私は外部機関への出向を経て、政策企画セクションに異動になりました。当時、私の勤務先の役所の中で最も忙しいと言われていた部署でした。確かに忙しかったのですが、何より人間関係が最悪でした。直属の上司と、部長は役所内でも有名な変人パワハラ野郎でした。

直属の上司にはほぼ毎日きつい言葉を浴びせられてました。部長は普通ヒラの自分なんか相手にするポジションの人ではないのですが、変に気に入られてしまってしょっちゅう呼びつけられて無理難題を言われてました。

課長や課長補佐は細かいイチャモンを付けるだけで、私が大変でも全く助けてくれません。加えて私を部長の無理難題のスケープゴートにしている感がありました。他の同僚は元々そんなに悪い人は多くないと思うのですが、みんな忙しすぎて空気はピリピリしてました。

生活保護の仕事も、政策企画の仕事も両方経験してあと何十年もこんな仕事を続けるなんて嫌だと思い、退職しました。

結果20代で退職することになりますが、ある意味その若い年齢で、退職を簡単に決意するほどきつい環境で仕事をすることになってよかったと思っています。

それまで学生時代にアルバイトをしていて、自分に向いてそうな仕事があったので、生活保護の担当のときからずっとその仕事に転職すべきか悩んでました。ただせっかく役所に入ったので退職するのはもったいないという気持ちや両親に申し訳ないという気持ちも多少ありました。

もし比較的楽な部署に配属になっていたら、辞める決断ができず、転職が難しい年齢になって、苦しみながら役所の仕事を続けていたかもしれません。

生活保護の仕事をしていた経験から、別に仕事辞めても人生何とかなるさって思えたことは役所を退職することにそれなりに影響があったと思います。

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